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湯川村

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工芸・史跡・考古・彫刻(村指定)

伝笈塚(でんおいづか)
村指定文化財

指定年月日昭和56年3月27日
所在地大字笈川字下本町甲84 [地図]
所有者妙興寺

伝笈塚(でんおいづか) 妙興寺境内にある笈塚は、三角形の自然石に行書体で「笈川可」(おいづか)と刻んである。もとは八葉寺に通じる街道沿いにあったが、昭和30年代に現在地に移したという。この石は、空也上人が背負っていた笈を下ろし休んだ石と伝えられ、一部土中にあるが、地上高約70cm、最大幅約70cm、最圧は約19cmである。
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キリシタン石塔 
村指定文化財

指定年月日昭和56年3月27日
所在地大字田川字作園 [地図]
所有者下樽川区

キリシタン石塔 禅定寺の西方100mのところにあり、台石・塔身・笠からなり、総高70cmで、塔身は宝篋印塔の基礎部を利用しているため上端が二段になっている。塔身部が宝篋印塔の基礎部のため+(プラス)字形で四区に分けてあるため、キリシタン関係の遺品と考える人もいる。
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浜崎城跡 
村指定文化財

指定年月日昭和56年3月27日
所在地大字浜崎字北殿町 [地図]
所有者個人

浜崎城跡 中世から近世にかけて会津盆地のほぼ中央、会津北部を押える重要拠点にあった。「別名を藤森城と称し、濱崎主馬築く」と『会津古塁記』にある。築城の年代は至徳年中(1384~85年)とも、それ以前とも言われているが明らかでない。本丸は東西90m、南北110m、幅10mの堀をめぐらし、二の丸はその西にあったとある。宝徳3年(1451年)、享徳2年(1453年)の二度の浜崎城をめぐる浜崎合戦があった。現在は本丸の土塁の一部と壕跡が残っている。
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常法寺礫石経塚
村指定文化財

指定年月日昭和56年3月27日
所在地大字三川字二城乙1 [地図]
所有者常法寺

常法寺礫石経塚 画像1常法寺礫石経塚 画像2

 常法寺境内にある3躰の石造地蔵尊のうち、最も北にある地蔵尊の台座の下に石製経箱がある。この箱の中から最大径6.5cm、最小長径1.8cmの礫石が約7,000個検出された。この礫石には墨で「妙法蓮華経」の全巻が書写されていた。この経塚は元禄13年(1700年)の造営という。

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木造聖観音立像 
村指定文化財

指定年月日昭和56年3月27日
所在地大字清水田字堂前乙41 [地図]
所有者常照寺

木造聖観音立像 檜材の寄木造りで念入りに内刳がなされ、小像ながら彫り口が細やかである。宝髻の髪筋は刻まれていないが、お顔は面長、豊満にして、玉眼が嵌入されその尊容もみごとに調われているが、やや相貌に人間味らしささえうかがわれる。衣は通肩に纏い、その煩瑣な動きあるしわのつくりは、いくらか拡張ぎみに巧みにこなされている。鎌倉以降の宋朝風が各地に後世まで影響したが、この像もその名残が良くうかがわれる室町時代の作と推定される。
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