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湯川村

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彫刻(国重文) 十一面観音/聖観音/虚空蔵/地蔵菩薩

国重文 十一面観音立像
国指定文化財

指定年月日明治36年4月15日
所在地大字勝常字代舞1737 [地図]
所有者勝常寺

国重文 十一面観音立像   現在の宝物殿が建てられる前にあった観音堂の本尊であり、現在は会津三十三観音の十番札所の観音として、多くの参詣を受けている。像高219.4cmで、勝常寺の諸像の中では最も大きい。また、勝常寺にある他の仏がすべてケヤキ材であるのに対して、この像の用材はヒノキかカツラと言われる。

大きく伸びやかな体躯に比して頭部はやや小さく、穏やかな中にも端厳な相を示している。近世になって安置されていた堂宇(どうう)が火災にあって、そのころに手が加えられたとされる。頭上の化仏(けぶつ)持物(じもつ)、台座、両手先は後補であるが、堂々たる体躯や衣の表現には平安初期の様式が残っている。
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国重文 聖観音立像 
国指定文化財

指定年月日昭和2年4月5日
所在地大字勝常字代舞1737 [地図]
所有者勝常寺

国重文 聖観音立像  ケヤキの一木造りで、背面より内刳りを施している。他の仏像と同様、飜波式(ほんばしき)衣紋(えもん)で、両肩より天衣(てんね)を掛け、張りのある身体は均衡がよくとれている。盛り上がった胸には装飾としての胸飾りを彫り出し、胸から腹部にかけてくびれが強く、その肉づけは丸々とした量感を備えている。彩色が施されたとされるが、ほとんど剥落している。

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国重文 虚空蔵菩薩像 
国指定文化財

指定年月日昭和4年4月6日
所在地大字勝常字代舞1737 [地図]
所有者勝常寺

国重文 虚空蔵菩薩像  別名天部(てんぶ)立像といい、(ほう)()をまとった貴人の姿であらわされる。本像は、ケヤキの一木造りで、像内に内刳りを施していない。平滑な表情をした顔面や持物(じもつ)に後世の手が加わっている。肉身や衣の(ひだ)に在地の仏像に共通した素朴な造形が表現されるものの、体躯や(まと)っている衣の形式には平安時代初期の特徴という、都と在地との造形が一体化しているようである。台座も当初の優作である。

古記録では(べん)才天(ざいてん)像と呼ばれたこともあったようである。

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国重文 地蔵菩薩立像 
国指定文化財
指定年月日昭和4年4月6日
所在地大字勝常字代舞1737 [地図]
所有者勝常寺

国重文 地蔵菩薩立像  通称「雨降り地蔵」といわれ、大正の初期まで境内の池にて灌水(かんすい)供養(くよう)が行われていた。

(うち)()りをしないケヤキの一木造である。平安時代前期の作で、持物(じもつ)は後世のものである。全体的に当時の顔面を保っており、表情は柔らかく慈悲に満ちている。(のう)()の手法はもう一体の地蔵菩薩と同様、天平様式の伝統を引き継いでいる。

なお、雨乞いの際水をそそがれていたため、像の前面、特に胸部から腹部にかけて著しく朽ちている。

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国重文 地蔵菩薩立像 
国指定文化財

指定年月日昭和2年4月5日
所在地大字勝常字代舞1737 [地図]
所有者勝常寺

国重文 地蔵菩薩立像  勝常寺の諸像のなかで2番目に大きい。ケヤキの一木造りで、像内に内刳りを施していない。平安時代前期の作であるが、光背(こうはい)持物(じもつ)は後世のものである。また頭部~腹部の部分と手首の部分についても、後世に(しっ)(ぱく)を施している。そのなかでも顔は金箔を押すために彫り直され、表情が平滑である。しかし、堂々たる体躯や幅の広い衣の表現は、もう一体の地蔵菩薩(雨降り地蔵)と同様、天平様式の伝統を引き継いでいる。宝物殿が建てられる前には薬師堂に安置されていた。
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