勝常寺には胎蔵界曼荼羅(総丈216.5cm、総幅166.5cm)と金剛界曼荼羅(総丈230cm、総幅166.3 cm)がある。描表装(かきひょうそう)という中世から現れた表装形式がほぼ原初の形で、会津の密教をうかがう上で貴重な資料である。応永5年(1398年)の薬師堂再建は真言宗に転宗して初めての大事業と想像される。曼荼羅図が作られたのはこの頃と思われる。
真言宗では付法を相承する八人の祖師を付法の八祖という。これに対し法を後代に伝えた八人の祖師、すなわち竜猛(竜樹)・竜智・金剛智・善無畏(ぜんむい)(以上インド)・一行(いちぎょう)・不空・恵果(以上中国)・弘法(日本)を伝持の八祖という。勝常寺は後者である。教王護国寺(京都)本が原本であることは姿形の上からも明らかである。各縦102.5cm、横幅43.0cm。
十二天は四天王などの天部の代表的な一つで、正確には十二衆天という。四方・四維・上・下・日・月を守護する神である。勝常寺本の線の構成は肉身部を均一な太さの墨線で表現し、衣服の線は抑揚のある墨線を用いている。暢達した線の質感からいえば、作者は江戸中期の狩野派で在地の絵師と思われる。各縦90.0cm、横幅38.4cm。