| 指定年月日 | 明治36年4月15日 |
| 所在地 | 大字勝常字代舞1737 [地図] |
| 所有者 | 勝常寺 |
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勝常寺の概観
勝常寺は大同2年(807)伝教大師の論敵として有名な法相宗の碩学徳一上人によって開かれた東北を代表する古刹である。創建当初の寺院名は詳でないが中世以後勝常寺と称している。創立された当時は七堂伽藍が備わり、盛時には多くの附属建物が建ち並んで十二の坊舎と百余カ寺の子院を有する一大寺院であったと伝えられているが、現在残されている建物は元講堂(薬師堂)を除く外は近世以後の建物であり、本坊(客殿)庫裏、中門等で仏像も三十余躯ある。
このうち国宝に指定を受けているものに木造薬師如来と両脇侍像があり、重要文化財に指定を受けているものに元講堂と仏像九躯がある。講堂は応永5年(1398)の再建で会津中央薬師堂と呼ばれている。
仏像は何れも今から約1190余年前、勝常寺が創立された当時から伝えられたもので、これだけ多くの平安初期の仏像が一ヵ所に保存されているのは我が国では珍しいことである。
創建時の主要建物の位置は伝承、焼け土、道路等に依り大体は想像できる。講堂を起点として南に向って大体等間隔に金堂・中門・南大門の位置が一直線上に立ち並んでいたことが想定出来るし、三重の塔跡は中門のそと東側にある。講堂の近くにあったはずの経蔵・鐘楼・僧坊等の位置は明瞭でない。
本坊は現本坊の区画内に南向に建てられていたらしい。中門の前の路を通り本坊へ達したと考えられる。東大寺に似た伽藍配置であったらしい。
薬師堂(通称会津中央薬師堂)元講堂
桁行五間、梁間五間、木造、単層、寄棟造、銅板茸この地方稀にみる大堂宇で和様の手法に唐様を加え、各部の木割大きく荘重の感がある。内部は内外の両陣にわかれ、内陣は方三間で中央に須弥壇を設け、壇上に厨子をおく。 堂はその構造や細部の手法等からみて、室町時代初期の再建といわれる。須弥壇、厨子もまた当時の優作である。 |  |