| 指定年月日 | 昭和59年7月14日 |
| 所在地 | 大字清水田字長瀞17番地 [地図] |
| 所有者 | 湯川村教育委員会 |
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 | 昭和15年頃禅定寺の五重塔址と伝えられる付近から、器高23cm、口径5.3cm、最大径13cm、底径7.2cmの褐釉を施した四耳長壺が出土した。2個一対の耳が二ヶ所に付いている。この種の長壺は中国で造られたもので、沈没した貿易船などから引き揚げられている。使用目的も限定され、茶筒として使用したとする考えがある。 |
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| 指定年月日 | 昭和59年7月14日 |
| 所在地 | 大字清水田字長瀞17番地 [地図] |
| 所有者 | 湯川村教育委員会 |
 | 平安時代と中世の遺物が出土したが、平安時代では杯・甕・壺型等の土師器と須恵器が出土した。須恵器は約三分の二が残存する風字硯が検出された。中世では井戸枠として使用した2個の曲物が出土した。曲物は二重になっており、それぞれ内側に1cm弱のきざみを入れて曲げてあり、留めは桜皮を使用している。井戸跡からは中国の古銭・陶磁器が出土している。他に中世の火箸・槍鉋等が出土している。 |
| 指定年月日 | 昭和59年7月14日 |
| 所在地 | 大字三川字大舘 [地図] |
| 所有者 | 湯川村教育委員会 |
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 | 建久4年(1193年)佐原遠江守盛連の次男、佐原次郎廣盛が築き北田氏を称した。旧湯川と旧日橋川との合流点の南西高台にあり、主郭は東西120m、南北110m、外郭は東西220m南北210mと中世鎌倉、南北朝、室町初期の時代における県内最大の平城で、会津の平地における要害の地であった。ここに居を構え勢力を振るったが、応永16年(1409年)6代上総介政泰に至り芦名盛政に攻め滅ぼされた。現在主郭の一部が残っている。 |
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| 指定年月日 | 平成6年4月1日 |
| 所在地 | 大字勝常字代舞1764 [地図] |
| 所有者 | 湯川村勝常念佛踊り保存会 |
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 | 空也上人の頃から始まり、伝統的信仰に基づく追善供養の意義をもっていた。戦時中一時中断し、戦後は昭和35、36年まで行われていたが再び中断した。昭和58年9月、有志が組織づくりに努力研修し、後継者の育成に努め、会津唯一の大きな摂取講に成長した。平成15年3月25日、会津大念仏摂取講として県の指定も受けている。 会津大念仏摂取講/喜多方市中ノ目念佛踊り・小沼念佛踊り・湯川村勝常念佛踊り |
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| 指定年月日 | 平成12年4月1日 |
| 所在地 | 大字勝常字代舞1737 [地図] |
| 所有者 | 勝常寺 |
 | 大きさは、高さ49.3cm、胴張30.2cm、内口径4.2cm,外口径9.6cm、内底径12.7cm、外底径15.5cm、高台高さ1.8cm。勝常寺の華瓶は徳利形で口が小さく、首が短く、胴が強く張り腰はほとんどなく、直ちに高台に至るという独特の形態をもつ。また、まったく飾りがなく素朴な形態を示す。欅材、割り矧ぎの技法から仏師がつくったと考えられる。製作年代は平安初期のものといわれている。 |

| 指定年月日 | 平成12年4月1日 |
| 所在地 | 大字清水田字扇田甲21 [地図] |
| 所有者 | 長福寺 |
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 | 福島県ではあまり作例が多くない尊像。三面三目六臂で、本来は怒髪上に馬頭を戴いていたものであるが、現状ではそれが失われている。馬頭観音は人々の恐怖を破り、無明の悪行を馬が草を食い尽くす様にすべて消滅させてくれる尊像である。また、農村でもくもくと働いた馬への感謝と弊馬の霊を弔ううえで祭られた。像内背面に「貞享三年」(1686年)の墨書銘があり、江戸時代の作である。 |
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| 指定年月日 | 平成12年4月1日 |
| 所在地 | 大字熊ノ目字村ノ内9 [地図] |
| 所有者 | 万福寺 |
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 | 像高30.4cm。この像の前部材は丁寧に整っているのに対して、背面は荒くはあるが強く衣の襞が彫出されている。体躯後部のみ古く、室町時代に遡るものと考えられる。頭部から像前面がすべて後補ということで整っており、作風から江戸時代初期から中期頃の造立と考えられる。前面をすべて作り替えても、背面のみ古像を使用しているのは、古像がこの地の人々から多くの信仰を集めていたからかもしれない。 |
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| 指定年月日 | 平成12年4月1日 |
| 所在地 | 大字湊字奈良町丙40 [地図] |
| 所有者 | 長照寺 |
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 | 法量120cm×120cm。画面向かって右下方に「永澤図」の落款がある。作者である小桧山永澤は耶麻郡小田付(現喜多方市)に生まれ、名は高則、通称竹右衛門。幼時より絵を好み、佐藤峯夕の門に入る。峯夕の没後、狩野永徳の弟子となり永澤と改めた。狩野派に学んだ会津の画家の比較的大画面の作品で、狩野派の正統的な画風を継承しており、江戸時代後期の狩野派の地方への伝播を知る貴重なものと言えよう。 |
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 | この会津初代國宗は、巷間に「堂畑國宗」と称されていることや、湯川村在住の所蔵者が國宗の直系六代の子孫であることも併せて湯川村との由緒は深い。 長さ 69.4cm 反り 2.0cm 表銘 奥州会津住國宗 天保三辰年二月日 |
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